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禁煙コーナー(テレサ・テンの死と受動喫煙害):広島県民のみなさまへ - 禁煙コラム (med.or.jp)

テレサ・テンの死と受動喫煙害

広島市立安佐市民病院
名誉院長 岩森 茂

 彼女は東洋系外国人でありながら日本を愛し日本語で流行歌を歌った偉大な歌手である。わたしの記憶でも、「夜来香」、「何日看再来」、「時の流れのように」、「愛人」、「つぐない」など有名である。活動の拠点を本国台湾、香港、そして日本とめまぐるしく往来して数々の歌を発表している。'90年以降はパリに滞在、この時に14歳年下の恋人ステファン・ピエールと同棲するようになった。天安門事件の抗議集会に参加したり、亡命民主化運動家との交流もしていたようだ。いずれにしろ彼女が奇怪な死を遂げた時はマスコミが自殺・失恋などと噂を流し、その各々についても彼女が生前いろいろとコメントを発表していたこともある。私が興味をもったのは'07年に発行された有田芳生著「私の家は山の向こう−テレサ・テン十年目の真実」という文春文庫の本を読んだことに始まる。結論を先に述べると、テレサ・テンは静養のために時々訪れていたタイ・チェンマイのメイビンホテルで、'95年5月8日気管支喘息の発作のため42歳の若さで死去したのである。死亡直前の様子はここに記さないが、'94年12月ホテルよりテレサ・テンの喘息発作のため、嘱託医であるヌアテップ・ニピツカーンが呼ばれたとのこと。ホテル15階の部屋を訪れると、ステファンがドアを開けていたので、入った部屋は寒いほどで、しかもたばこの煙が部屋に充満しており、しかも彼はスパスパとたばこを吸っていたのですぐ潰しなさいと注意したとのこと。医師はテレサ・テンが吸うのかと尋ねたところ、時々吸うがヘビーではないと答えたという。ステファンが無神経にもたばこを吸っていたことは大いに気になったが、テレサは自身が喫煙者であったため、喘息発作の要因となるニコチン依存症の恋人の喫煙を違和感もなく許容していたのであろうか?すばらしい歌手の命が恋人の喫煙害を繰り返し受けたことで失われたとすれば、特に残酷な間接殺人罪にも相当するものと思うのである。ともあれ死の現場にはステファンは不在であったが、死亡診断書のサインは彼であり、解剖は強く否定したという。5月8日夜急死したテレサは5月28日台北で国葬が行われ世界各国から約300人のファンが訪れたという。彼女の棺は中華民国の国旗に覆われ台湾の国民的英雄ぶりであった。墓所は台北市の北東にある台北県金山郷の金宝山にあり、小さな公園のように整地され、本名の一字を取って?イン園エンと呼ばれている。墓前には銅像があり、常に彼女の歌声が流れているとか!火葬が一般的である台湾でも、彼女の偉大さのため、あえて防腐加工が施され、土葬され、没後10年以上生前の姿であり続けるとのこと。台湾でこのような形で土葬されているのは蒋介石、蒋経国とテレサ・テン、この3人だけである。台湾も日本も偉大なる歌姫を失ったが、彼女には国民栄誉賞が授与されている。