1. アメリカ合衆国における上水道フッ化物添加の成果とフッ化物添加反対運動
1)自然から学んだ上水道フッ化物添加の成果4)
(1)フッ化物添加の普及
1945年1月25日午後4時に、ミシガン州グランドラピッズ市で世界最初の上水道フッ化物添加が始まった。その発端は、地域の若き開業医、F.
MacKayによる奇妙な褐色の歯(歯のフッ素症、いわゆる斑状歯)の発見である。斑状歯、飲料水中のフッ素濃度とう蝕の関係が明らかになる中で、アメリカ国立衛生研究所(NIH)のT.H.
Deanらのアメリカ全土にわたる疫学調査が実施された。その結果を基に、1ppmFのフッ化物添加事業が開始されたのである。現在、アメリカ合衆国の1億4420万人(全人口の約56%)が0.7〜1.2ppmFの上水道フッ化物添加地域に居住している(水道の給水人口の62%)。50大都市中、42都市を含む1万カ所以上で都市住民の約70%はフッ化物添加された飲料水を利用しているのである。また、フッ化物非添加地域の大半の住民も都市フッ化物添加地区で製品となる清涼飲料水や加工食品を摂ることで間接的に上水道フッ化物添加の恩恵を受けている。これをフッ化物添加による拡散効果という。
(2)偉大な公衆衛生手段
上水道フッ素化は20世紀における公衆衛生上の最も輝かしい業績であり、牛乳の低温殺菌法、塩素消毒による浄水法、伝染病対策としての予防接種とともに"近代の4大公衆衛生手段"として讃えられている。さて、上水道フッ化物添加の予防効果が明らかになるにつれて、フッ化物添加事業とフッ素製剤の開発ならびに利用がアメリカ合衆国をはじめ世界中に広がった。具体的には、全身的応用法としてフッ素錠剤とフッ素添加食塩、局所的応用法としての歯科医院専用の高濃度フッ素溶液ならびにゲルとバーニッシュ、フッ素配合歯磨剤、学校でのう蝕予防プログラムとしてのフッ化物洗口(あるいはフッ素錠剤)、店頭販売されるフッ化物洗口液である。これらの普及と応用により、アメリカ合衆国ではフッ化物非添加地区においてもう蝕が大幅に減少し、見かけ上、上水道フッ化物添加の効果が減少した。これをフッ素の希釈効果あるいは空洞化という。
(3)アメリカ合衆国の歯科関係団体の積極的姿勢5)
アメリカ合衆国では、次項に述べる強固な反対運動にさらされながらも、上水道フッ化物添加の普及のために国レベルで政府関係機関、歯科医師会等が一体となり、大きな成果をあげてきた。にもかかわらず、過去の取組みを満足できるものでなかったと謙虚に反省をし、公衆衛生の向上のために今後も上水道フッ化物添加が社会に受け入れられるよう社会に働きかけていかねばならないと決意を固めている。そして、アメリカ合衆国におけるフッ化物添加に付随する混乱はフッ素を知らない大多数の人々への反対派の情報操作が原因であるとし、歯科医師や歯科衛生士が歯科医院レベルでも患者さんにフッ素の利用についての正しい説明を積極的に行うように促している。
2)フッ化物添加反対運動6) (1)反対派の主張とその変遷
フッ化物添加への懸念を表わす逸話がある。当初、グランドラピッズ市の上水道フッ化物添加は1945年1月1日から実施予定であったが、機器の設備の遅れから3週間ほどフッ化物添加が延期された。その間に、フッ化物添加が開始されたと誤解した住民から、"体重が急増した"とか"入浴したら発疹がでた"という苦情が寄せられたという。
1950年以降、フッ化物添加の拡大にともない反対運動が広がりをみせた。少数で小規模な反対派であるが、その活動は宗教にも似た狂信的なもので、McNeilはアメリカ人の最大の関心事、"死、税、野球"にこの激しいフッ化物添加反対運動を新たに加えて、このフッ化物添加反対闘争を"アメリカの長期戦争"と評したほどである。反対派の用いる情報戦略の変遷を表1に示す。文字通り世相の反映である。1950年代では、フッ化物添加は共産主義者の陰謀と言いたて、1960年代には、フッ素を毒性廃棄物、公害物質、フッ素に関連した「毒」という常套句を使い、環境問題に転化したのである。1970年代に入ると、ベトナム戦争の余波で反体制化し、フッ化物添加をアメリカ合衆国政府、医学歯学界及び企業の共謀とみなした。1980年代に国民の健康への関心が高まると、フッ化物添加は老化、アルツハイマー病やAIDS(エイズ)の原因とした。
表1 アメリカ合衆国におけるフッ化物添加反対運動の年表 文献6
年代 フッ化物添加反対派の情報戦略 |
1950 共産主義者の陰謀 1960 環境問題への関心、恐い言葉の頻用(毒性廃棄物、公害物質、毒など) 1970 軍産共同体への反体制ムード;政府、保健団体、企業の共謀;癌 1980 老化、アルツハイマー病、エイズ 1990 骨折、出生率低下、癌 |
アルツハイマー病に関しては、リスクファクターとしてアルミニウムがあげられている。そこで、フッ化物の存在下でのアルミニウム製の調理器具からのアルミニウム溶出実験がおこなわれたが、有意なアルミニウム量は溶出しなかった。したがって、飲料水中のフッ化物とアルツハイマー病の発症との関連があるという証拠はない7)。それどころか、飲料水中のフッ素濃度レベルが高い地域では、アルツハイマー病の有病率は有意に低かったという研究報告がある8)。また、飲料水フッ化物添加とエイズとの関連については、サンフランシスコ公衆衛生部や合衆国疾病コントロールセンター(CDC)は、「フッ化物がエイズの発症やHIV感染の原因あるいは補助的因子になるという主張には科学的根拠がない」と述べている7)。
次いで、1990年代には、閉経期女性の骨折の原因、出生率の低下、そして再び発癌因子であると主張している。(これらについては本節の骨への影響とガンの章を参照下さい。) 総じて、フッ化物添加反対に繰り返される手法は、いつの時代も変わらない中心テーマとなる"社会主義的な薬品大量投与"であった。
(2)フッ化物添加反対派とその主張 強固な反対派は極右グループ、偽環境主義者、整骨師、フッ化物添加経費を心配する高齢者、美食家や反科学の”自然主義者”で自称”中立派”、かつてはフッ化物添加を受容していたが、神に出会い改宗した”生まれ変わりのフッ素反対派”である。実は反対派の多くは主体性がなく、また本心からフッ素に関心がある訳でもなく、宗教的、政治的、感情的側から反対運動に参加する場合が多いといわれる。反対派の一本化のための理論武装を支援する、”偽学者”の存在が最も問題である。彼らの大半は科学的研究業績がなく、専門分野でリーダーシップの経験もなかった。しかし、声高な反対活動により、アメリカ全土をはじめ世界中から招かれ、スポットライトがあたり、著名人となっていったのである。 反対派の主張内容とフッ化物添加の真実について表2に示す。その第一はフッ素は有害であるという主張である。フッ素は毒物であるというばかりか、アメリカ合衆国アレルギー学会が水道水フッ化物添加によってアレルギーが発生するという証拠はないと報告しているにもかかわらず、アレルギーを引き起こすと主張している。このほかにも、奇形、癌や心臓病はじめ、乳児突然死、免疫不全等を引き起こすともいい、さらに量と濃度の関係を無視してフッ素をどくろマークの毒物と主張して危険性を煽ったのである。水道水フッ化物添加の安全性に関する報告の結論はただ一つ、至適濃度における水道水フッ化物添加の危険性は全く考えられないのである。また反対派はフッ化物添加はう蝕予防に効果がなく、コスト高であると主張するが、盲検法による肉眼的あるいはエックス線診査で、フッ素化物添加地区が常にう蝕が少ないことが実証されているし、アメリカ合衆国では水道水フッ化物添加の年間経費はわずか50セントである。また反対派の主張する個人の権利と選択の自由は、公共の福祉の立場からみれば、これこそ”権利の濫用”と法的判断が下されている。
表2 フッ化物添加反対派の主張とフッ化物添加の真実 文献6
フッ化物添加反対派の主張 |
フッ化物添加の真実 |
毒 う蝕予防に無効 う蝕発生の遅延効果 経済的に無駄 個人の権利と選択の自由
|
至適濃度(0.7〜1.2ppmF)で安全 60〜70%のう蝕予防効果 すべての年齢層にう蝕予防効果 安価(年間一人平均50セント) 公共の福祉の面から個人の権利と自由の制約
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表3 フッ化物添加反対派の用いるテクニック 文献 6
政治的中立化 |
大量郵送キャンペーン、電話攻勢、威嚇により見せかけ の" 論争"を粉飾する。 |
大きな嘘 |
科学的根拠なしに、癌、腎疾患、心疾患その他の重篤な健康 被害をフッ化物添加のせいにする。 |
半面の真実 |
量の問題を無視して、フッ素は毒で斑状歯の原因となると 吹聴する。 |
あてこすり |
"絶対"安全が証明されるまでフッ化物添加を延期する。("絶対 "の安全性は不可能である。) |
文献を無視した解釈 |
反対運動に有利な時代遅れの文献を利用したり、 原著者の結論を曲げる。 |
いわゆる"専門家"の引き合い |
医者は皆同じ考えを持つと視聴者が信じ ているので、フッ化物添加反対の歯科医師、
医師、 科学者を探して登場させる。 |
陰謀行為という濡れ衣 |
フッ化物添加は保健団体、政府、企業の共謀である と非難する。 |
恐い言葉 |
「公害物質」「毒性廃棄物」「癌」「人工物」「化学物質」 という言葉を連発し、恐怖心を煽る。 |
見せかけの論争 |
大半の保健専門家と科学者はフッ化物添加を支持している
のに、科学的論争があるかのよう な錯覚を与える。また、 論争の結果を問わず、"賛否両論"があるかのような印象を与える。 |
(3)反対派の巧妙なテクニックと住民投票
アメリカ公衆衛生局(PHS)元長官のL.Terryは「公衆衛生手段で上水道フッ化物添加ほど激しい妨害をうけたものはない」と述べている。フッ化物添加阻止のためにフッ素反対派の用いる情報操作手段を表3に掲げた6、9)。
1984年9月に、サンフランシスコのW.Nelderはテレビ討論会で、フッ化物添加地域の死亡率は非フッ化物添加地域よりも300%も高く、"フッ化物添加地域での心疾患による死亡率が急増した"と主張する悪質な誤情報を流した。彼女はテキサス州の高濃度の天然フッ素地域であるBartlett(8ppmF)とCameron(0.4ppmF)を比較したのであるが、1943年から1953年の10年間で死亡数は前者が14名で後者は4名だったので、"300%"
増加と断言した。Bartlettの70歳以上の高齢者率が1943年人口の約15%、1953年人口の約12%で、Cameron
の同時期ではわずか4%であった事実を視聴者に隠したのである。統計上の"ごまかし"であり、大嘘つきの例である。癌死亡と関連づけた誤ったデータの悪用は反対派の常套手段である。
また、反対派はこれらのテクニックを駆使して住民投票を操ってきた。行政、議会側に指導力がない場合には、上水道フッ化物添加の可否を住民投票にゆだねた例が多い。投票前の質問調査でフッ化物添加に好意的な住民が多い地域でも、住民の不安を煽る反対派の戦術にまどわされた多くの住民が反対に変じ、その結果、フッ化物添加を阻止された苦い歴史がある。
(4)裁判闘争と権利の濫用
上水道フッ化物添加が開始された地域では、フッ化物添加が非合法で憲法違反だと主張し、中止を求める裁判闘争が繰り返されてきた。多くの判例の中で、2、3の下級裁判所が「個人の選択の自由あるいは宗教上の信念」を理由にフッ化物添加実施を否としたものの、控訴審では上水道フッ化物添加はすべて賛成判決となった。1984年までに州最高裁判所及び合衆国最高裁判所へフッ化物添加反対の13回の審理があったが、そのすべてが却下あるいは再審理が拒否されている。いかなる理由であれ、アメリカ合衆国では法的にフッ化物添加反対運動を支持する裁判所は存在しない7)。アメリカ合衆国では個人の自由は尊重されるが、"公共の福祉の面から個人の権利と選択の自由は一部制約される"のである。
2. わが国における社会的問題
FDIとWHOのフッ素利用によるう蝕予防方法の再三の推奨と実施勧告があるにもかか
わらず、わが国ではその普及の遅れが著しい。その理由として、受け入れ側の住民の認識
不足や日本型反対派の存在を第一にあげる専門家は多い。しかしながら、フッ素洗口が推進されている新潟県の事例では、指導責任のある専門家および行政が、住民への理解と反対派との闘いに重要な役割を演じてきた。したがって、わが国における「フッ素普及の遅れ」の要因として、指導者層側の住民に対する指導不足があげられよう。まず、最近の10年の調査結果を基に、歯科界と国および地方自治体の社会的責任と歯科教育的課題について述べ、日本の社会的問題を探りたい。
1)指導者側の社会的責任と課題
(1)国の歯科保健医療施策の貧困
国は歯科医療政策として1961年以来の皆保険制度を堅持しているので、治療主体の歯科医療環境に変わりはない。もちろん、予防給付もない。しかも、点数出来高払いの疾病保険でまかなわれているため、医療側は"削り詰めて治療費の請求(DRILL,
FILL&BILL)"に陥りやすく、住民側には「むし歯は罹って詰める病気」と認識されがちである。「むし歯」を予防する歯科医療への転換には、フッ素の安全かつ有効な利用は必須である。また、厚生省等の掲げる「8020運動」達成のためには、国家レベルでの適切なフッ素の活用推進が大前提である。現在のところ、国の施策としてのフッ素応用が具現化されていない。これがわが国における最大の社会的問題であろう。
(2)関係諸団体および歯科医師の力量不足
口腔保健に関わる関係学会の積極的なフッ素についての社会的アピールが少ない。また、地域歯科医療を実践する歯科医師会には、関連団体や行政と連携して地域住民にフッ素利用を広める意欲と力量が不足していた。現在、わが国での公衆衛生レベルのフッ素洗口事業の恩恵を受ける児童は約1%に過ぎない。しばしば、フッ素洗口推進のネックは歯科医師といわれるが、確かに予防に対する関心の薄さと、う蝕予防方法の優先順位の混乱があげられる10)。
横浜市の歯科医師283名にフッ化物応用に対する意見を質問したところ、「フッ化物を"使用しない"う蝕予防方法」に58.9%が賛成している。さらに、回答者の1/3はフッ化物の安全性と有効性を疑問視し、公衆衛生特性の優れたフッ素の活用に関心が希薄であった11)。そして、上水道フッ化物添加実施都市のオーストラリアのメルボルン市の歯科医師346名と比較したところ、「上水道フッ化物添加をすべきである」に賛成の回答者は横浜34.7%で、メルボルン97.4%と大差であった12)。このほか、わが国での歯学教育の貧困も一因のようである。歯科医師が地域歯科保健の中心的役割を果たすためには、今後フッ素に関する卒後教育の充実が図られねばならない。
(3)保健主事・養護教諭に対するフッ素洗口調査
某県の保健主事145名・養護教諭138名を対象とした歯科保健調査で、フッ素洗口について保健主事の85%が「実施すべき・望ましい」と答えたが、養護教諭では60%強と少なかった13)。学童・生徒の歯科保健を援助すべき立場にある養護教諭に対する歯科保健教育の遅れの克服も課題となる。
(4)歯磨剤製造業界の企業責任
先進諸外国では早くから、歯磨剤製造会社が商品販売戦略の中でフッ素の有効性、安全性を地域啓発活動の一環としてとりあげ、住民のフッ素の理解向上に大きく貢献したといわれる。しかし、わが国ではフッ素配合歯磨剤のシェアは40%台でありながら、う蝕予防にとって大切なフッ素の有益性を十分に正しく住民に伝達していない。その事例をテレビCM等に見ることができる。全くフッ素の有効性に触れていないのである。
2)歯科教育的課題
わが国の歯科医療は対症療法の域を脱せず、治療中心主義の段階に停滞する。それを支える現行の歯科教育にはカリオロジー(う蝕学)の概念がない。う蝕は脱灰ー再石灰化平衡の揺れ動く過程で生ずるので、う窩発生前の原因療法が不可欠なのである。その過程で、フッ素は重要な再石灰化因子の役割を果たしているのである。歯科教育の変革は優先事項なのである。
(1)歯科学生と某住民を対象としたう蝕予防意識調査
過去と現在ともに、歯科教育が技術偏重であることは否めない。予防と公衆衛生の講義時間は僅少で、教育側と受講側の関心はともに薄い。う蝕予防に有益なフッ素の知識について、フッ素洗口実施地域住民と6学年歯学生を対象に調査したところ、フッ素洗口群の保護者の知識は歯学生のそれに匹敵ないし、凌駕していた14)。また、17大学の同学年歯学生を対象としたう蝕予防に関する質問では、「将来、自分の子供にフッ化物洗口させたい」と答えた歯学生は65.2%で、対照住民では83.3%と高かった15)。地域住民のう蝕予防を推進する上で、歯科学生教育を改善する必要性が示唆された16)。
(2)日本の歯科学生と外国の歯科学生との比較
最近、上水道フッ素化に関する質問を日本の20歯科大学と、フッ化物添加しているオーストラリア、香港、ニュージーランド及びフッ化物添加未実施の中国本土の歯科大学(中国北部;中国医科大学、同中部;北京医科大学、同南部;江西医学院)で行ったところ(各々最高学年)16)、「フッ化物製剤は安全である」と答えたものは日本57.3%に対して、オーストラリア91.5%、香港76.7%、ニュージーランド88.2%、中国90.1%といずれも高率であった。う蝕の比較的少ない、かつフッ素利用も少ない中国本土でのフッ素の理解度は高く、教育上、注目に値する17)。
3)わが国に見られるフッ素反対運動の特質
わが国の反対運動として、地域社会レベルで実施されるフッ化物洗口事業に際して反対の動きが生じる。すでに解決済であるにもかかわらず、反対派はフッ素の安全性と有効性への疑問を繰り返し、不安を煽る。その手口は既述の通りである。その中で、専門分野で認められず、反対運動に生き甲斐を見いだして活動する"自称フッ素の専門家"が一部マスコミにもてはやされるが、上述のアメリカ合衆国や次項のオセアニアの状況によく似た現象である。
また、学校でのフッ化物洗口に大半が賛成であっても、反対派が「やりたくない子どもの権利はどうなるのか」と賛成派を攻撃し、フッ化物洗口の実施を実力で阻止する例に出会うが、これは個人の権利の濫用である。極く少数の反対派のため、多数の賛成派の"健康権"と"選択の自由の権利"を奪うことになる。さらに、これに拍車をかけるのが、労働組合の上部機関による「フッ化物洗口反対」の旗印への追随である。フッ化物洗口の実施が保健担当職員である養護教諭の労働過重になると信じているケースでは、希望する多数の学童と生徒はフッ化物洗口の恩恵に浴せないことになる。これらは公衆衛生レベルでのフッ素利用における日本版反対運動によく見られる事例である。
3. 他の国々における社会的問題
上水道フッ化物添加の普及するニュージーランドとオーストラリアにも、アメリカ合衆国と同類のフッ素反対派は存在する。しかし、彼らは社会的には歯科保健の議論の対象外である。また、ヨーロッパでは上水道フッ化物添加には個人の選択の自由に欠けるという理由から、これを採用している国と地域は少ない。それは基本的には、口腔保健と個人の選択の自由の二者択一に関する社会的かつ政治的決定の問題であると受け止められていることによる。そこで、スイス、フランス、ドイツでは、公衆衛生と国民の選択の自由の双方の視点から、社会的政策として食塩へのフッ化物添加2)を行っている。これらの国々では食塩へのフッ化物添加は強制的とは受け止められていない。同時に纔で僅かではあるが、非フッ化物添加食塩も販売されているので、フッ素反対派の対象にもなりにくいという。もちろん、食塩へのフッ化物添加政策のう蝕予防効果は証明済みである。食塩へのフッ化物添加は中米コスタリカとジャマイカでも採用され、増加の傾向にある。
ところで、世界の国々ではフッ素の局所応用であるフッ素洗口、フッ素配合歯磨剤の使用に対する反対運動は起きていない。ただし、フッ素の過剰摂取には歯のフッ素症の発現との兼ね合いで気を配っている。水道と食塩へのフッ化物添加が実施されている国々では、6歳未満児には保護者が"えんどう豆サイズ"のフッ化物配合歯磨剤をつけてやり、飲み込みに注意している。
したがって、これらの国々で見られる反対運動は、上水道フッ化物添加からのフッ素摂取に反対するものであるが、一方わが国にはフッ素の局所応用に反対するという「フッ素なら何でも反対」という世界でも異質な反対運動が存在する。
4. おわりに
WHOの掲げるスローガンである「総ての人々に健康を、Health for
All!」はまさに口腔保健の視点から「子供から大人まで総ての人々にフッ素を、Fluorides are for all
ages!」である。現在、世界中でフッ素が広範に利用されている。殊に、上水道フッ化物添加は安全で費用効果に優れた公衆衛生的なう蝕予防手段である。アメリカ合衆国国民は常時フッ素の恩恵に浴している。西暦2000年のアメリカ合衆国での保健目標の一つが、"フッ化物添加率を給水人口の75%に増加"することである18)。一方、WHO作業班は日本の歯科医療、歯科保健に対して「フッ素の利用の遅れ」を勧告している。現在、わが国における上水道へのフッ化物添加は皆無であるばかりか、フッ素の局所的利用にも障壁がつきまとう。歯科の社会的仕組みが治療中心主義で貫かれ、あらゆる局面で予防という概念にうといのである。
ところで、フッ素利用によるう蝕の減少は歯科医療の変革をもたらすことになるだろう。わが国におけるフッ素利用の歴史を国民の認識不足に責任転嫁することなく、フッ素とフッ化物添加の恩恵について、歯科界は第一次予防知識の習得に自ら努めるべきである。社会的問題に歯科教育の占める比重は極めて大きい。さらに、わが国の国民の健康を守るべき政府関係機関、関係団体及び関係者は、既述のような"アメリカ合衆国の闘う姿勢と指導者としての謙虚さ"を学ぶべきであろう。
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